宮下建設工業の歩み

  1. 会社の設立、作業手段
  2. 家庭・家族について、友人との出会い作業手段
  3. 社屋完成、社名の変更
  4. 仕事の移り変わり、県知事賞受賞
  5. 箱物への展開と自信、社内の充実
  6. 総合建設業への躍進、地域社会と共に

箱物への展開と自信、社内の充実


中川東小学校
箱ものと呼ばれる公共の建築物件を元請けとして請負いたいという当社の願いに大きな転機がおとずれたのが、昭和57年から始まった中川村立東小学校校舎の改築工事であった。
以前より山浦鉄工(現在ヤマウラ)さんとは、仕事を通じお世話になっていたが、小学校校舎改築という大きな箱もの物件を共同で行うことになったのである。山浦鉄工・宮下建設工業企業体の始まりである。
当社としては、山浦鉄工さんのノウハウを吸収する絶好の機会であったし、何にも増して当社建築部門での大きな自信にもなったのである。


中川商工会館
これを機に、建築部門における完成高が増えていき、昭和58年には松川町に支店を開き営業の一層の拡大を図った。松川町役場新築に携わることができたのも一つの成果であった。
建築部門拡大を期に手狭となった資材倉庫を昭和61年に新築した。また、安全無災害工事をという目標に向かっての一環でもあった。そして国道沿いの現在の場所に建設したのは大きな理由があった。


管理センター
当時、地域の方々より宮下建設工業という名前をよく聞き又、車や工事現場もよく見かけるが、いったいどこに会社があるのだろうという声が聞かれるようになった。又、この事は、当社の従業員確保にも少なからず影響しているのではと感じ、現在の場所を選んだのである。
尚、倉庫を建設する一年前に有限会社から株式会社とした。企業として前進して行くための重要なステップであった。

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