宮下建設工業の歩み

  1. 会社の設立、作業手段
  2. 家庭・家族について、友人との出会い作業手段
  3. 社屋完成、社名の変更
  4. 仕事の移り変わり、県知事賞受賞
  5. 箱物への展開と自信、社内の充実
  6. 総合建設業への躍進、地域社会と共に

社屋完成、社名の変更

社屋完成
社屋完成
昭和44年に着工し翌年45年に前沢川の河口に新社屋が完成した。創業以来、私の念願であった社屋が出来た時は、感無量の思いであった。

当時の社宅
当時の社宅
私がこの年社屋を建設した理由はいろいろあるが、そのうちの一つは、至って簡単なことであった。
当時の事務所は、私の家と隣接したプレハブであった。隣接といっても自宅の一部と言った方がよいかもしれない。あの当時、仕事を終えた従業員達が戻ってきた際、「いいな、社長の家は今日も魚らしいぞ」と言っていた。この言葉を聞いた時、これではいけないと思い、早急に社屋を建設しようと決心したのである。
また、新しい社屋を建てた場所は、以前ミンクの飼育小屋であった。この飼育小屋を倉庫に活用すれば、後は事務所を建てるだけでよいという考えで、場所を選んだのである。場所の選定にあたっては、家族、従業員、友人達よりいろいろ意見をいただいたが、私は、一度決めたら変える事なく押し通した。良い場所に建てることができたと、今でも思ってい る。



設計・製図風景
昭和46年8月1日より、宮下建設有限会社を宮下建設工業有限会社と社名を改めた。
当時、当社も官公庁と直接取引きしていただける会社へと成長していた。ただし、実績が乏しいゆえ大きな規模の物件を任せていただける企業にまでは至っていなかった。そしてこの官公庁との取引きが、社名を改める要因であった。

伊那市には、当社の大先輩である宮下建設株式会社さんが営業しており、たまたま社名が同じであったため、入札指名書類・通知書等が間違って届けられ、問題が生じた事が何度もあった。株式会社と有限会社・住所の違いがあるため、間違うはずなどないと思ってみても始まらない。伊那建設協会の加藤氏と宮下建設さんの要望により、当社は社名を改めることになったのである。

社名を改めるにあたり、従業員とディスカッションをし決めることにしたが、なかなかまとまらず、最終的には、宮下建工と宮下建設工業の2案が残った。最後は私が決断したのであるが、建設・工業と頭の2文字を取って建工とするよりは、少々長い社名になるが、しっかりと建設と工業を言いたいという考えのもと、宮下建設工業としたのである。

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